日本財団 図書館


ビデオ制作雑記

 

アルカットビデオ制作所
プロデューサー 中村 風

 

22歳にして「も早や世の如何なる心理的アティテュードにも動ずることなし」と嘯いた私が、最初の解剖実習撮影前夜は寝つけなかった。自他、生死にかかわらず、こと肉体或いは生理的なものに対しては,私はだらしないの一語につきる。
以来、五本の献体に関するビデオを制作して来た。その間、私は必ず登録の理由をインタビューした。実は“人は何故献体するか”という問が、私の深いところに常に横たわっているからである。応じてくれた人達の答えを、失礼ながら以下に分類簡略表現させて頂く。
A 私が今日あるは、医者と医学のおかげである。献体によってその恩に報い、医学に貢献したい。 --- 報恩貢献型
B 私の体をもって、医の技術・倫理・心理を学んでもらいたい。世はそういう医者を切望している。 --- 実践的教育者型
C 登録したらホッとした。死後落ちつくところが決まって安心した。 --- 安心立命型
D 棺に入れられて焼かれるのと、解剖されるのとは同じこと、痛くも掻ゆくもない。 --- 冷静客観型
E 一生が終わっても、まだ役に立つもう一度の人生の舞台、活動の場がある。--- 人生第二ステージ型
F 周囲に迷惑や手間をかけず、金もかからず、得である。 --- 完全実益型
何れも納得出来る答えである。だがしかし、それでもまだその向うに何かある、と私には思えて仕方がない。それは深層心理にひそむものか、神秘的な何かか。私にとっては、今後も映像では描けないテーマであり続けるだろう。
さて、仕事柄種々の大会を経験する。政治集会、カルト的宗教集合、マルチ商法大会等々。何れも独特の雰囲気がある。共通点は一種のおそろしさである。それは、何れも没論理的十字軍的狂熱が支配していることによる。人々の欲望が巨大な黒雲となって、場内を叫び、のたうっているからである。
ところが献体登録者の大会は、深刻なテーマを踏まえていながら物足りないくらい穏やかである。多分、欲望という原動力がないからだろう。“死後”という静謐な仮定現実の上に成立している会合だからだ。従って、散会後の高揚も酩酊も決意も必要としない。
だが他の大会と一つだけ似ているところがある。中心核の存在である。他では、教祖であり、後援会長、販売突撃隊長であるのに対して、こちらは大学の高名な解剖学教授である点である。没論理的存在か、知的存在か。若しかしたら、この時彼はバーチャルリアリティのお釈迦様なのかも知れない。苛烈な浮世の人事から浮上して、しばし天上の涅槃で安らぎを得ているような……。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION